月と太陽と星と水瓶と

飛鳥井誠一のお仕事や近況です。略歴はこちら> http://profile.hatena.ne.jp/A-sky/

二次元を入り口に聖書に聞く 系譜と繋ぐもの 「ふたりはプリキュア」シリーズを端緒に

-イエス・キリスト系図-

アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリスト系図

アブラハム、イサクを生み、イサク、ヤコブを生み、ユダ、タマルによりてパレスとザラを生み、パレス、エスロンを生み、エスロン、アラムを生み、アラム、アミナタブを生み、アミナタブ、ナアソンを生み、ナアソン、サルモンを生み、サルモン、ラハブによりてボアズを生み、ボアズ、ルツによりてオベデを生み、オベデ、エッサイを生み、エッサイ、ダビデ王を生めり。

ダビデ、ウリヤの妻たりし女によりてソロモンを生み、ソロモン、レハベアムを生み、レハベアム、アビヤを生み、アビヤ、朝を生み、アサ、ヨサパテを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨラム、ウジヤを生み、ウジヤ、ヨタムを生み、ヨタム、アハズを生み、アハズ、ヒゼキヤを生み、ヒゼキヤ、マナセを生み、マナセ、アモンを生み、アモン、ヨシヤを生み、、バビロンに移さるる頃、ヨシヤ、エコニヤとその兄弟を生めり。

バビロンに移されて後、エコニヤ

サラテルを生み、サラテル、ゾロバベルを生み、ゾロバベル、アビウデを生み、アビウデ、エリキヤムを生み、エリキヤム、アゾルを生み、アゾル、アゾル、サドクを生み、サドク、アキムを生み、アキム、エリウデを生み、エリウデ、エレアザルを生み、エレアザル、マタンを生み、マタン、ヤコブを生み、ヤコブ、マリヤの夫ヨセフを生めり。このマリヤよりキリストと称えるイエス生れ給へり。

されば、総て世をふる事、アブラハムよりダビデまで一四代、ダビデよりバビロンに移さるるまで一四代、バビロンに移されてよりキリストまで14代なり。

マタイ傳福音書使徒マタイによる福音書)第1章1節―17節

 

-つながる系譜-

聖書を紐解くと先ず立ちはだかるのはその収められたものの量と種類です。聖書と言ってもユダヤ教イスラム教もその信仰の基盤とする旧約聖書キリスト教に重要な新約聖書に分かれます。更に旧約聖書は創世記から十戒が登場する出エジプト記や英雄伝であるイスラエル史、十戒の解説書ともいうべき律法書、その名の通り神を称える詩が詰まった詩篇預言者達が時の権力者や社会と戦う様を描いた大小の預言書、神を受け入れつつ苦悩する人の姿が描かれたヨブ記やコヘレトの言葉などの知恵文学で形成されています。そして、イエスキリストが登場する新約聖書もイエスキリストの足跡を4人の記者が描いた4つの福音書とキリストの弟子である使徒達の活躍を描いた使徒言行録や使徒から初期の教会や信徒へ向けた手紙とされる書簡類が収められています。

そして福音書のスタートを飾る使徒マタイの福音書の冒頭もまた今回挙げた序文で初心者に立ちはだかります。ちょっとした興味本位で聖書を開いた人は余程のことでない限りここを読み飛ばすかここで挫折する事請け合いです。

しかし、この序文こそ救いの物語、聖書に語られる神とキリストが何者であるかを示す証明書であり見逃してはならない箇所です。アニメやコミック・ノベルも1話・1章が重要であるのと変わりません。

 

ではなぜ、このような聖書の構成、福音書の書き出しになっているのでしょうか?

救いを説く宗教の経典であれば、もっと簡単に神・キリストの語った事を纏めればいいと普通の本屋に並ぶ実用書と比較して考える人もいるでしょう。実際、そう考えて行動に移した人は何人もいました。しかし、残念ながらその人たちは悉く道を踏み外してしまいました。聖書はキリスト教の根幹を成すと同時に古代ユダヤ民族・イスラエルの歴史書であり、法律書であり文学集でもあります。きわめて多様な側面を持った書物です。字面だけ追いかけ、そこから容易く美味しい所だけを集めることができる存在ではないのです。

 

巷にあふれるアニメや漫画も昨今、少しでも人々の目に留まろうと分かり易さや読後の快感を追及したり、様々なプロモーション手法が登場しエスカレートしていっていますが残念ながら悪い意味で換骨奪胎としか思えないようなものばかりで良さを伝え広めるどころか逆の結果を招くケースも見られ、作品一つ一つが持つポテンシャルをそいで寿命を縮めているようにしか見えないのも勿体無い事です。

 

-戦い、手を取り合う少女達-

さて、シリーズ毎に登場する主人公たちの数を挙げると今回のマタイ冒頭に引けを取らないアニメが存在します。それが「ふたりはプリキュア」シリーズです。15年以上続き、初代のキュアブラックキュアホワイトのペアに始まり、続編のMaxHeartで追加のシャイニールミナス。続くSplashStarのキュアブルームキュアイーグレットと第二次形態であるブライトとウィンディ、3代目Yes!プリキュア5はその名の通り五人と続編のGoGo!で一人追加となりその後も基本4人でフレッシュ、ハートキャッチ、スイート、スマイル(5人)、ドキドキ、ハピネスチャージ、Go!プリンセス、魔法つかい、キラキラ、HUGっと、トゥインクルスターとタイトルを挙げるだけで16代、今この原稿を書いている2020年はヒーリングっどというシリーズで4人登場します。プリキュア達の名前をすべて挙げればマタイのそれを超えるボリュームです。

ここまでの拡がりはアニメに興味のない人からすればテレビ局と玩具メーカーを中心に食品やら雑貨を手を変え品を変え売る為に毎年やっている事程度に見えるかもしれません。そして多くのプロテスタント教会にとっては日曜の朝に子供向けの礼拝や聖書講義に子供たちを集めようとする際に、プリキュアは連続して放映される男児向け特撮と共に立ちはだかるやっかいな存在(苦笑)でもあります。

しかし、聖書が「神とは?神の救いとは?」というテーマを軸に旧約新約そして中で分かれてマタイの冒頭で名前を挙げられた人物それぞれに役割や物語が存在するように様々な事柄が描かれているのと同じで、プリキュアひとりひとりに個性と物語が存在し、ある程度のテンプレートは存在しますがシリーズそれぞれに舞台も設定もデザインも声優もすべて異なり、どれ一つをとっても同じエピソードは存在しません。シリーズの根底に流れるものは同じですがシリーズそれぞれに観る子供達に伝えようとした物は異なります。十年以上続き初代を観て育った子供が成長して、声優となってプリキュアに登場するようにもなりました。家庭も同様です。初期を観て育った世代が親として家庭を持ち子供を育てるようになりました。初代と2代目が強調した「手を繋ぐ」ように親と子を繋ぐ役割も果たすようになりました。人物の描かれ方も移り変わり、初代は当時の都会で中学校に通う女の子達をモチーフに、2代目は郊外~地方の中学生がモチーフとなり生活スタイルも部活も違いますが、初代から15年経った「HUGっと!プリキュア」では更に登場人物の描かれ方は今の子供達だけでなく社会全ての多様性を取り込んだ意欲的かつ批判性すら備えたものになり、毎週のように話題を巻き起こし社会に対し一石を投じました。別の回で取り上げようと考えていますが単なる勧善懲悪ではないいろいろと考えさせられるエピソードや教会の大人達が下手に咀嚼した読み聞かせより聖書で描かれる人間のあるべき姿を直球的な表現で描き切ったエピソードすら見受けられ、私も毎回興味深く視聴しています。

 

-触れ合いと赦し-

聖書は全編を通じて「私は私としてある」神と人間の関わりそして神の赦しと救いの物語を描きます。

「創世記」の楽園追放から神と人との関係は一度は遠く離れ、バベルやソドムとゴモラの様に人の有様に怒りを燃やすこともあればロトやノアの様に決して棄て置かない神のありよう(愛)が描かれます。新約は赦しと救いの象徴としてイエス使徒の物語が描かれます。共通しているのは神は神であり、人知を超えた存在であると同時に常に人の傍に立ち、触れ合い語りかける存在として描かれている事です。

プリキュアはシリーズの根幹に「何かを守る(為に戦う)女の子」を据えつつ学校に通う女の子の日常、友情、成長、時代とともに変わりゆく家庭や社会との関わりを変わらず描き続けています。

男児向けヒーロー物と異なる点としてプリキュアは立ちはだかる敵にさえも手を差し伸べるところです。男児向けで登場した敵がその後主人公達と行動を共にするパターンもあると突っ込まれそうですがそれはあくまでライバル、強敵と書いて「とも」と呼ぶものが多くプリキュアのそれとは異なると思います。3作目SplashStarで登場した満(みちる)と薫(かおる)と主人公の咲と舞の触れ合い、4作目Yesプリキュアではクライマックスで敵の首領であるデスパライアに手を差し伸べ、8作目のスイートプリキュアではエピローグでプリキュア達は真の敵であったノイズが自己嫌悪した枯れた声ですら自分たちが愛し守る音楽の一部として受け入れます。2019年放映のスタートゥインクルでは「絶対に許さない」とプリキュアの定番セリフの一つを叫び迫る敵に対し「私はあなたを赦す」と返すシーンもあります。単なる勧善懲悪ではないメインの視聴者層に向けたプリキュア達の在り方が見て取れます。

 

創世記で神に「大地の砂粒が数えきれないようにあなたの子孫も数え切れないだろう」と祝福されたアブラハムから、イスラエル民族が広がり様々なドラマが生まれ聖書に収められたように、プリキュアは「ふたりはプリキュア」から始まり、そして、単なる子供向けの消費コンテンツでは収まらないドラマが子供達は勿論、大人をも唸らせます。国民的アニメと言われるドラえもんサザエさん宮崎駿監督作品とは違った形で日本のアニメ界に根を張り大樹として大きく枝を広げ育った作品であると私は感じています。

子供達や我々が初めて出会うプリキュアも皆異なりますがそこから様々な登場人物や物語を知り何かを受け取った時の喜びは優劣の付け難い人として大事な経験ではないでしょうか。

 

世の中には今回のプリキュア以外にもキリスト者的に興味深いアニメや漫画・小説、ゲーム作品が多数存在します。

それらを本稿以降、他の作品からも紹介していきます。それらと出会う喜びを読んで下さる皆さんと分かち合えたらと願ってやみません