月と太陽と星と水瓶と

飛鳥井誠一のお仕事や近況です。略歴はこちら> http://profile.hatena.ne.jp/A-sky/

(面倒くさい話) 道は誰のものか?

本当に堅苦しくて面倒くさいことについて書くので飛ばしていただいた方が良いかもしれません。
色んな形で接する道について最近色々と思うところあるので私見を残すものです。
 
人が家の外に出ると必ず道を通ります。
私道から公道(自治体の道、都道府県道、農道・林道・港湾道路)場合によっては動物たちの道(けものみち)もあります。現役の道路もあれば一線を退いた旧道や役目を終えた廃道、切り開く途中の未成道もあるでしょう。
 
私道は私有地の道(通路)で所有者の都合が優先されます。
農道・林道・港湾道路は自治体であったり営林署や港湾局のルールが優先されますよね(農耕車・林業関係車両・漁業または船舶関係車両優先)
道とついているという点では鉄道もあり、事業者の定める約款そして鉄道事業を監督する法律・細則に則って運営されています。
しかし、それ以外の道、特に公道は誰のものでもない。言い方を変えれば利用者全員の共有財産ではないでしょうか?
そして、様々な利用者の便を平等かつ円滑に実現させるために道路交通法、交通ルール、交通マナーそして社会的マナーが存在する。私はそう認識しています。
所が、その道の利用について以前からゼロではなかったのですがネットのせいか最近あちこちでの問題やトラブルが露わになっています。
 
私自身、どこでもトラブルや面倒事を見かけたり聞いたり正直うんざりしています。
本稿の結論から言ってしまうと「道は誰のものでもない。自動車の為でもなければ二輪の為でもない。まして歩行者の為でも」
 
私は 自動車の運転はしますし、ここ2年近く自転車であちこち走り回っています。鉄道も使えば街中を歩いたりハイキングで山道も歩きます。その中で、自転車に日常的に乗るようになった中学生の頃からずっと、自転車乗るときは左側通行を励行し続けています。
なので、最近ネットでもたまに指摘される自動車や自動二輪車による自転車への嫌がらせ・妨害を何度となく遭っています。ただ、私も感情にムラっ気がある性質なのでたまにイキって反撃したり嫌がられるようなことをしてしまった事はあるのは認めざる負えません。逆に自動車に乗っていて右側通行が当たり前と思い込んでいる自転車や狭い道を並んでチンタラ歩く歩行者に怒りを覚えることも。
 
なぜ日本の道がここまでカオスになっているのでしょうか?左右云々は明治維新の際にモデルとしたのが二転三転とかそんなのは関係ないでしょう。あと、道がらみで「赤信号、みんなで渡れば怖くない」などという日本の悪癖を的確に言い表したフレーズがまかり通るようになってしまったのか?
 
こうなった原因は、義務教育の中で身近な経済や福祉制度と併せて交通ルールをきちんと教えないことが大きく影響しているんじゃないかと思います。ましてや共働きが普通になったこのご時世に子供に親が教えるものの一つみたいな扱いでうまく行く筈がない。
その結果、色々な立場の人が円滑に社会で暮らすために役立つルールを一番緩く解釈した(歩行者最強)(自転車は右側)みたいなことがまかり通っているという気がしています。
 
これはここ数年の思いではありません。
 
日本でマウンテンバイクがブームになった90年代にまだ高校生でしたが、買ってもらって近くの大きな川の土手を走り回ったり、ショップのツーリングで林道走ったり雑誌で見つけたレースイベントに出た事もあります。
マウンテンバイクから冷めた理由には、当時住んでいたのが平地のど真ん中で山まで往復するだけで1日終わってしまい、醍醐味を味わえなかったこともありましたが、自転車雑誌の広告で或るマウンテンバイク関連の会社の名物人物が広告で「このバイクで街の歩行者をパイロンみたいにかわして走り抜けるのもいい」などと今なら即炎上な事を述べていて嫌気がさしたのも一因です。
ネットもない時代でしたがすでに林道などでオフ向けのオートバイと共に問題がいくつか報告され営林署やハイカーに敵視され始めて規制が起きていた時世に業界の著名人がその認識では遠からず走る場所がなくなるだろうと感じたからです。事実そうなりましたし。
無論、自制と共生を唱えて何とか根付き始めた文化を守ろうとした心ある人も居ましたがが圧倒的多数の無恥の無法者によってそれは押し流されたのでした。
 
そして最近、今乗っているロードバイクでもネットのおかげで悪いエピソードがうんざりするほどですし、ランニングや登山・ハイキングとの融合した(ものでしょうか?)トレイルランもそういう危険性を孕んでいると街やドライブ先で見かけて思っています。自転車専用道でない(そうであってもまずい)ところでのスピードの出しすぎで河川の管理道が問題になったり、そのことが少なからず一因となっているのが察せられる釘のばらまき事件。ランニングで車道や自転車優先・専用区分を逆走するランナー、ヘッドホンで音楽聞きながらで自分の世界に入っているのがモロ分かりなランナーなど。
 
あとは先日、目の前で歩行者とランナーのトラブル発生の瞬間に遭遇したこともあります。
ある件で集団で細い道を歩いていた時の事です。道路脇の軒先で作物の無人販売が行われていたので脚が止まり、数人で取り囲むようになって狭い道をさらに狭めていたのはこちらもまずかったと思いますが、そこを反対側から来た一人のランナーが脚を止めていた数名にぶつかって走り抜けていきました。流石に同行していたある人が声を荒げランナーを制止しようとしましたがランナーはそのまま走り去っていきました。聞こえていてもその気がなかったのかヘッドホンをして音が聞こえなかったのかは分かりませんが。
その一部始終を少し遅れてちょうど俯瞰することになってしまった私はとても気まずくなりました。
 
この件、ランナーが少し減速して露店の反対側を通れるだけの余地はあったので明らかに故意でしょう。ランナーとしては上り坂のトレーニングで一定のペースで走りたいのに他にもいたハイカーなど歩行者に辟易してイラっとしたのかも知れません。こちらも道幅の半分を占めるように拡がっていたので誰かがたしなめるべきではあったでしょう。それでも故意に体を当てるというのはアウトです。
この話、立場を自転車やオートバイ・車に置き換えても十分通じる話です。
 車両なら人身事故で即警察沙汰の事案です。
互いに挨拶し合って譲り合うというのが本来あるべき姿ではないでしょうか。
 
そして譲り合いで譲らなくてはいけない優先順位は動物より歩行者、歩行者より走者、車両が高いということです。それは物理的、移動という運動エネルギーの強さで考えれば文系の私でもわかる事です。
そこが結論‐道は誰のものでもない。すべての人(動物)のものである‐ということです。
 
この拙文をここまでお読みいただいた皆さん。まずは身近な所からルールの遵守と譲り合いを始めましょうよ
 
よろしくお願いします。