頑張るということ
前回のエントリ後、無事に現在取り組んでいる二次創作の定期更新を行うことができました。
しかし、体調の不安定さも露呈しましたし、明けた日曜日に予定していた映画鑑賞「Song of the Sea」も体調不良で急きょ延期せざる負えませんでした。
そういう状況でつい、ツイッターでリツイートしてしまったある呟き、最初はその通りいいねと思ったのですが夜のバイトで品出しとレジ打ちしながらその呟きの真に意味するところの問題に気付きました。
毎日逃げてきた自分が、未来の自分を殺していく。 pic.twitter.com/NiUDVcj8RZ
— アボガド6 (@avogado6) 2016年8月26日
他の人がつけたレスにも有りますが、これ典型的な日本人の考え方。
土井健郎が「甘えの構造」で指摘した問題と表裏一体に近い病理かも知れない。
似た表現として某アニメの「逃げちゃダメだ」が挙げられます。
自分をわかっていない人間がいくら強迫観念に駆られて月月金金頑張って徹夜や残業したって出来ないものは出来ない。この呟きに安易にいいと思う人間がそういう状況にあったら「ボクは頑張った」という自己満足しか残らない事が多いだろう。
そして失敗した場合を問題のつぶやきの画像のパッと見の印象から問おうとすると「頑張らないやつはダメ。失敗や破滅はそいつの責任」という日本社会に蔓延する自己責任論が簡単に沸いてくる。
これによる損失はあるアニメ監督を20年近くにわたって迷走させ、社会で貧富の格差を許して幾多の差別や自殺者を生み、明治維新後の日本を傾けた一因と言っても過言ではない(かも知れない)
逃げた自分が明日の自分を追い詰めるのではない。自分を理解しない自分が殺すのではないでしょうか。自分を知らず「人がこういうからそうだ」というものに安易に依拠する事で本当の自分を殺す
私のHNは2000年代初頭にヒットしたライトノベルの登場人物からとっていますがその作中にこういうくだりがあります。
「確かに何かがいる。人に『かくあらねばならない』と思い込ませている何者かが。それは人々の間に入り込み、いつのまにか世界を軋ませている」
疲れたのなら今日休んでもいい。明日頑張ろう。もし頑張れないのならそれは何故か考えよう。気分転換に遊びに行ってもいい。美味しいもの食べてもいい。ただ楽しむだけじゃない。ワクワクドキドキしよう。そうすれば、逃避行で見た景色や経験がそのうち役に立つ日が来る。無駄なことなどないんです。私も最近お付き合いしているある方とのやり取りでそう気付かされました。
まぁ、まずは自己分析から初めて、そこから自己陶酔にまでいかない自己への信頼と常に自分はもちろん社会や周囲への疑問と批判する精神を持つことが大事なんではないでしょうか?