月と太陽と星と水瓶と

飛鳥井誠一のお仕事や近況です。略歴はこちら> http://profile.hatena.ne.jp/A-sky/

近況Blog

久々の更新になります。

今回はこのご時世で自転車の代わりにここ1年頑張ってやっている「釣り」について始めた経緯の振り返りと多分私の駄文で後に続く人がいるとは思えないのですが躓いてしまった人の為のアドバイスを残したいと思います。

 

結論としては

・どうせ釣りやってみるなら釣り具屋さん行って色々調べた方が幸せになれます。

100円ショップは他のものもそうですが100円で触れますが結局専門店の方が安くいいモノが買えますし、使い方も行く場所も分かります。100円ショップは既にやっている人にとってメリットが大きい品ぞろえです。

特に今からならコロナ禍でのアウトドアバブルが弾けて特にチェーン系のお店は暇しているので初心者に喜んで教えてくれます(行きつけのお店のおっちゃん談)。

 

・お金はやっぱりある程度かかります。

・料理覚えましょう

YouTubeやネットの入門はあまり参考にならない(動画はネタをネタとして視るのを推奨)

 

とある釣り座学の為のYouTubeチャンネルのテロップにこういうのがあります。

「人生を永遠に豊かにしたかったら釣りを覚えなさい(中国の古い諺)」

(因みに本当はイタリアの諺で釣りではなく牧師に成れだそうです)

 

 

始め~今に至る経緯

新型コロナ流行でいくつかの業界が特需に沸きましたが「釣り」もその一つで「キャンプ」と共に人気になりキャンプ場が初心者で溢れかえったように手軽な堤防釣りをする初心者であちこちの漁港の堤防は人の波が押し寄せました。

 

で、私もそのクチかというと正確には違います。時期的には被るのですが切っ掛けが異なり、確か2020年、偶々既に釣りをしていた知り合いから誘われて真夏の外房の漁港に行ったのが初めての釣りです。知人共々さっぱり釣れず隣の砂浜に移動してシロギス狙いの釣りもやったもののダメで0匹、真夏の暑さと不慣れな房総の道にヒイヒイ言いながら帰った事を覚えています。で、その際、道具(釣り竿とリール)は貰ったのですが、その後は1年位放置で車のトランクの片隅に寝かせていました。

 

状況が変わったのは2021年、竿をくれた知人と秋口位に会話して今度は船釣りに行こうという話になりました。初めて乗った船は浦安の有名な船宿吉野屋(牛丼屋ではないアレは吉野家)のカワハギ釣りの船で知人の用意してくれた竿で数匹カワハギとゲストでキュウセンベラが釣れて持ち帰って食べました。次に1か月半くらい空いて市川市にある江戸川放水路で手漕ぎボートに乗ってのハゼ釣りで長閑な趣を楽しみました。それくらいから、折角もらった道具もあるのでコロナ禍でのアウトドアブームを狙ったかのようにキャンプ用品や釣り用品を置き始めた100円ショップやワークマンを活用しつつ釣りができる海浜公園に通ったり車でチェーン系の釣具店行きました。行ってみて気付いたのは100円ショップと専門店の違いは生き餌を含む餌を釣りたいものに合わせ買える事と釣り場や最近釣れたものをお店の人の実体験から知ることが出来る点です。まあ、釣りにも色々あるので全てというのは無理がありますが家電買う時に電器店で自分で使った事も無い派遣が適当な話術で押し売ってくるのとは違います。あとワークマンのアウトドアグッズやアパレルはガテン系御用達のお店に並んでいるだけあって値段の割にモノが良いです。

さて、始めたとはいえ簡単にかっこよくルアーを投げたりできるわけでもなくとりあえず他人の迷惑にならないように経験値増やそうと東京湾内のよく名前が挙がって行きやすい所に毎週のように行きました。単純に海を眺めたり若洲海浜公園のような夜も景色が楽しめる場所に行くのが楽しかったのがあります。真冬で日が暮れると手がかじかむのが当たり前なのによく行ったもんだと我ながら思いますがそういう時間帯は人が少ないのでド下手なボッチには気兼ねなくできてよかったです。それから徐々に自分で船用の竿買ったり、ブーツやベスト買って磯やサーフに挑戦したりして今はサーフジギング(砂浜など海岸のルアー釣り)か船の小物(先述のカワハギの他、カサゴやアジ、シロギスなど)を楽しんでいます。堤防釣りは人が多かったりちょっとアレな家族連れによく遭遇して疲れるしそもそも港湾施設への立ち入りは釣りマナー以外に年々厳しくなっているのと淡水の湖でのブラックバスは昔から環境問題的に嫌悪感が拭えないのでしません。

最近は特にカワハギとシロギスにフォーカスして月に12回船に乗っています。江戸川や東京湾内の河口から船に乗って風の塔アクアラインを間近に通り過ぎたりベイブリッジを袂から眺めたりしながら狙う魚ごとに違うポイントに向かう景色を見るだけでも楽しいです。どっちも簡単には数釣らせてくれませんが釣りあげた物を食べる上でもボッチなので程ほどのお持ち帰りになるこの二つは自分には合っています。(アジやカサゴも好きですが数釣れてボリューミィなので偶に……)

 

で、結論補足

お店について

主な道具(竿、リール、仕掛け、餌)はチェーン店で買うと後々幸せ。

収納や小物関係は百均を釣り具コーナー以外含め活用できる。

釣り場近くの小さな個人店、生餌や釣り場の最新状況入手の為入ってみましょう!

(余程ボロいお店でなければ多分初心者でも大丈夫です)

 

釣り具のチェーン店は?

・上州屋

多分、日本一のチェーン店、全国に点在している。ただ最近、古く小さい店舗の劣化具合が酷い模様。(品揃えやスタッフのテンションという点で)シマノPBが推し。

Point

九州発祥のチェーン店、私のいる関東の国道16号沿線など海の近いところにも大きな店舗増殖中、お店に入ったことは無いのですが或るYoutuberさんによるとオリジナル餌のユニークさとコスパが良いらしい。ケーブルテレビJCOMの釣り番組のスポンサーです。

(私は通販で一度オリジナルブランドの竿を買いました。値段が激安。品質はまあまあ)

・キャスティング

上の二つに比べて店舗数は少ないが東北~九州まで展開。釣り具業界でシマノと双璧を成すダイワ系列のお店。PBも在るけどころころシリーズが変わっていて微妙。それより値段の割に評判のいい中堅NBプロマリンの取り扱いがダイワ製品の次に厚くネット通販に負けない値段で実物確認して買えるので重宝

。タックルベリー

釣り具業界のハードオフソフマップというかスポーツサイクルのサイクリーみたいな存在。中古を中心にメーカーやチェーン店のアウトレット(新古品)を取り扱うお店なので安いものの当たり外れが出やすいので入門者にはお勧めできない。

・中堅、地方密着チェーン

結構そういうのがあるらしくサーフジギングのメッカ静岡に行った際には『釣り具のイシグロ』という東海限定のチェーン店を愛用しています。NBPBの品揃えと値段が良く中古や竿の修理・改造請負や補修部品コーナーが手厚いのもいいです。

またYouTubeのスポンサー番組や地方のYoutuberさんの動画で知ったのは関西の『フィッシングマックス』、『釣り具のブンブン』というチェーン店さんが良さげです。

あと地味に各地に点在する『かめや』というチェーン店あるのですがひょっとして似た名前のゴルフ用品店の親戚デスかね

 

ダイソー

もはや、アウトドアグッズを購入する上で外せないので当然釣り具店としても外せないのが100均の中でもダントツのアイテム数を誇るダイソー

釣りYoutuberさんの再生数稼ぎの定番タグでもありますし、実際なんちゃって釣り具とバカにできない実績を示す動画も多数見ることが出来ます。百均と言いながら1000円と桁が一つ違いますが普通の釣り具店でそれ用のロッドを買うと最低2万以上は見積もられる大型の青物魚ブリを釣り上げてもビクともしないルアーロッド(竿)やあまりの人気にとあるルアーメーカーの代表が貶して大炎上したジグヘッドというカテゴリのルアーを筆頭に陸上からの釣りではもはや欠かせない存在になっています。

まあ、私がコミットしている船釣りではまだあまり使えるアイテムは無くハンドル付のケースなど日用品を流用するのに愛用しているお店です。

 

 

メーカー

シマノ

ほぼシェア独占の自転車で散々名前見ているのでお腹一杯ですが釣り具でもメジャー、性能は勿論いいですがデザインは男性的で少し脂っぽいです。所属する専属テスターというかプロが悉くオッサンだし竿やリールだけでなくウェアやアクセサリ含め良くも悪くも「釣り具」。

DAIWA(ダイワ)

大体の釣具屋でシマノと後述のAbuGarcia(アブガルシア)と並んで見かけるメジャーブランド。シマノに比べると全体的にシャープなデザインと性能・価格のバランスの取れた竿・リールと釣り以外のアウトドアでも使えるような洗練されたデザインと性能のアパレルが強い印象。所属する専属テスター(プロ)もシマノに比べてバラエティに富んで実際会ってもとっつきやすそうな人が多い感じ

AbuGarcia(アブガルシア)

淡水湖・河川のバス釣りのポイントにこのブランドステッカーを貼った車をよくみかけますが名前の通り海外からやってきた世界展開(ヨーロッパ)のメーカーらしいです。

私の行くお店だと廉価な製品が多く並んでいて先述の日本の2社に比べると性能より値段がウリのブランドに感じます。ちなみにバス以外の日本の船釣りにフォーカスした製品「KUROFUNEシリーズ」もさりげなくラインナップしています。

・中堅ブランド(OGKPROMARIN

OGKと聞いて自転車を嗜んでいた私は最初自転車ヘルメットやプラスチック製グッズを出しているあのOGKさんがやっているのかと勘違いしたのですが『大阪漁具』のイニシャルを取ったブランドのようです。PROMARINはこれも大阪の問屋さんのブランドでどちらも技術的・価格的にこなれた素材と設計で大手メーカーに比べて絶対的性能は劣るものの廉価で気軽に手を出せる竿が多く出している印象で初めて釣り具屋さんで買ったのがPROMARINでした。

 

とまあこんな感じでぼちぼちやっています。

コラボキャンペーンという現代エロゲのターミナルケア

1,二つの独立系エロソシャゲのコラボキャンペーン
2,パッケージ販促としてのアプローチ
3,ハードエロス系の断末魔
4,エロゲはラピュタ

1,

2022年11月、私が触っているFANZAGAMESのタイトル「エデンズリッター-グレンツェX-(以下デンズリ)」と「マジカミDX(以下マジカミ)」がそれぞれ興味深いパッケージアダルトゲームとのコラボキャンペーンを展開されました。

デンズリはTriangleの「魔法戦士FINALIGNITION」、マジカミは「夜勤病棟」。どちらもエロゲー隆盛期に始まったエロ重視のヒットシリーズという共通項とリリース時の購買層が異なるという相違点があります。
デンズリの魔法戦士コラボは或る意味必然です。主人公が異なる世界の存在を召喚する錬金術師(魔導士)という共通項以外にも変身ヒロインモノであるという事、触手や(SM)調教系エロでヒロインが堕ちる過程を楽しむのがウリであるなど昨年の「魔法少女アイ」以上にコラボするしかなかったと言わざるを得ません。ましてや魔法戦士シリーズの「本当の意味での(ここは後述)」集大成のリリースが11月末にありリリースに向けた盛大なお祭りとして処女作の「魔法戦士スイートナイツ」から知るファンにとっては感無量です。
シナリオも魔法少女アイの時はデンズリ世界へアイ達が迷い込むようなアウェイ展開でしたが今回はそれぞれのプレイヤーキャラが入れ替わりそして互いの世界のヒロインを「お持ち帰り」を目論んで攻略していくという作品のカラーを活かした展開です。
マジカミはエロゲーコラボの際に過去の名作を選ぶ傾向が強く、過去にはエルフの下級生、おやぢシリーズとコラボし、通常のミッションをこなすことでマジカミのヒロイン達がコラボ先のシチュエーションを演じるイベントの前半を見ることが出来る仕組みになっています。
個人的にはおやぢシリーズコラボが印象深く、いきなりバッドエンドの回収(臭作とマジカミのシナリオ1期を知っているとわかる展開)がなんとも。イベントの後半は各ヒロインごとのパックでお買い求めとなります(ただしお高め)

2,


デンズリとコラボしたTriangleの魔法戦士シリーズがこのタイミングでコラボしたのはデンズリが魔法少女アイとコラボしてから1年近く経ち頃合だった事と作品のカラーが近似していたことの他にパッケージ製品最後になるであろう「魔法戦士FINALIGNITION」のリリースを11月末に控えていた事も大きかったように思いますしここからソシャゲとパッケージそれぞれの様々な可能性を想像できました。
エロゲ隆盛期でも発売前の販促キャンペーンというと早期予約特典がコレとかフルボイスのが当たり前になってからは「発売まであと何日」のボイス公開とかぐらいしか記憶に残っていませんし、大ヒットしてメディア展開出来てもエロの壁で連動できなかったりとかギクシャクしたものばかりだったように記憶していますので今回の、作品のカラーに合った他のプラットフォームのゲームに新タイトルの発売前という絶好のタイミングでコラボ展開というのは現時点で最高の施策だと思います。
ただこれは本当に幸運な組み合わせだと思います。「エロソシャゲのコラボなんて他に幾つもあるじゃん」という向きも当然いると思いますが今回のこれは全く背景が異なります。そして、次章のハードエロス系の厳しい立場も浮かんできます。

3,

まず、今回のデンズリ・マジカミのエロゲコラボは他によく見かけるコラボと異なり、運営会社のコントロールによるものであるという点が挙げられます。コラボの内容の管理はそれぞれの会社のQCが通ってソシャゲ以外のユーザーにも(ある程度)配慮した外向きなのに対し他のエロソシャゲのコラボキャンペーンの多くがクレジットにある同じ名前が確認できます。ぶっちゃけ、運営がFANZA系列のタイトル同士で内向きなのです。具体的に説明すると前者は魔法戦士シリーズはやったことあるけどデンズリは絵やシナリオが濃そうで敬遠していた人やその逆向きにアプローチできるのに対し、後者はFANZAソシャゲのタイトルAを遣っている人にBやCもやって(FANZAにもっとお金落としてくださいよ)というものです。
そして今回気付いたのは夜勤病棟コラボはもう運営元の担当者の個人的趣味によるであろう力業というのと、他にもあるSM・凌辱・学園もののハードエロスのタイトルがコラボできる人気タイトルはなかなか無くそういうタイトルが得意(と言っても最盛期に比べ既に激減していますが)なブランドはデンズリやマジカミとは勿論他の独立系エロソシャゲとのコラボは厳しくこのまま消えていくのだろうなと言う事です。同様にファンタジーという共通項で浮かぶタイトル・ブランドはあってもそれでかつ変身要素というとそうそうないのでやはり厳しいと思います。
〈脱線ですが私は昔ほどではないですが今でもVenusbloodシリーズを擁するDualtail/Ninetailさんの大ファンという自負はありますがVenusbloodシリーズがデンズリとコラボとか魔法少女タイトルであるラヴィリオンがマジカミとというのは無理だと思います。
VBORBITがもうちょいダークでまだ続いていたらワンチャンだったかもしれませんが(やめなさい)〉

エロゲがパッケージで販売できる場所も減り、通販やダウンロード販売というルートも弁えないあんぽんたんがやらかして遠隔販売に必須の決済業者を激おこさせるせいで厳しさを増す一方です。その中で昔から細かいレギュレーションで世間の隙間を縫って続いてきたハードエロス系の中でもガチな鬼畜エロ・「学園」エロは風前の灯火ですがもう大きな花火を打つことも出来なければ新規のユーザーを増やす施策ももう打てる余地はどこにもないのです。それが先程の(消えていく~)と思った理由です。

4,


こういう話になると必ずと言っていいほどネットで「エロゲは滅びぬ。何度でもよみがえるさ」とどこかのムスカみたいな台詞を吐く人が現れるんですが残念ながらそれは無いと思います。エロゲの2000年代の勢いはその中心地秋葉原で色々な仕事しながら間近に見続けたわたしにもすごいものでその頃こんな日が来るとは思いもしませんでした。
しかし、その頃からPCの高性能化や様々な要因で開発費の高騰や製作期間の長期化、内容の肥大化による組織の複雑化や乱立によるトラブルなど問題は出始め私も巻き込まれた事が有ります。そしてそれに対し、一致してなにかが行われることは無く、一般コンテンツ分野への人材流出や海外からのアクセス変化で社会環境の変化との齟齬は深まり、もはやエロゲの世界は爛熟から枯渇に移りつつあるとしか言わざる負えないです。ムスカのセリフに対し、シータがラピュタ衰亡の理由を返したようにエロゲも社会という地に足をつけたモノづくりと組織運営、業界維持が出来ず、社会の厳しい目から背を向け続けた結果居場所をどんどん無くなったのが今の状況の一因だと私は思います。(無論、店舗からネット、PCからスマホへの重心の変化もありますが))
しかし、荒れ野や砂漠でも植物や生き物は居る様に生き残るブランドは存在すると思っています。私はその生き残る所が少しでも多い事を祈る位しかできません。


とりあえずデンズリとマジカミのコラボには今後も期待していますというメッセージで今回は締めたいと思います。

(エロ)ソシャゲのサービスの動きについて色々とPart1

流れ星の様な衛星

 

2022年5月2日 午後0:00 一つのブラウザゲームがひっそりとサービスを終えた。
Venusblood-ORBIT-(以下VBO) 2000年代よりWindowsでシリーズを重ねていた触手エロが一つの名物のダーク系エロゲーの系譜に連なるタイトルでした。
ここでは終了から半年を経て、その一生の振り返りを端緒に私が続けているソシャゲとの比較からどうして続かなかったのか?どんなゲームが続けやすいのかとこれを投稿する頃のキャンペーンについての考察までグダグダと2回ぐらいに分けて投稿したいと思います。

 

先ず、制作・運営に携わった方々には「お疲れ様でした」と感謝したいと思います。
その上で正直な所を言うとこの半年でのサービス終了は仕方ないと思っています。サービスイン後始めて間もなく「これは長続きはしない」という印象をもったのでむしろよく半年も持ってくれたと。ちなみに同じPCエロゲ出自としてさらに短命に終わったブラウザゲームサービスとしてスク水変身ヒロインが印象的な天使のアレが挙げられますが、VBOとアレとは失敗の要因が異なると思っています。アレはシリーズの根幹二つ(原画があの人である)(スク水を活かしたかっこえろかわいいコスチュームデザイン)が事前登録ガチャの時点で失われていたのでエロゲーとして面白いかどうか以前の名前倒れだったのに対してVBOはキャラや世界観はVBらしかったもののシステムのルック&フィールがWindowsXPの世代に近くて全体的に「古き良き時代」のエロゲーを今時のブラウザゲーのインフラに載せてしまったミスマッチ感が否めずプレイ継続が困難だったのではないかなぁと。いや、決して貶すつもりはなくXPの頃リリースされたVenusblood-Desire-とか-Empire-は製作元には悪いんですが一番好きなんですよ。今のVBに比べてあれこれ考えずサクサク出来るし、Desireのペルセイラ様はシリーズで一番お気に入りだし、シリーズで二番目に好きなEmpireのジルニトラ様をVBOは割と早く入れてくれたし妹妻ちゃん含めオリジナルも良かったし一月くらいまでは頑張ってログインして続けたんですよ。でも、今のブラウザソシャゲ系でリリースされた草創期の「神姫project」よりもレスポンスが今一つでデイリークエスト回すのもかったるく、製作費ん?億円で煽ったマジカミに比べると地味。なのでちょうどその頃仕事終えて帰ると体調がゲシュタルト崩壊してて酒は勿論、ご飯を食べるのも億劫な中でOrbitは真っ先にリストラ対象にせざる負えませんでした。他に手を出してたマジカミやエデンズリッター-グレンツェ-もその頃はよさげなイベント以外ログインだけの日が多かった位しんどかった。とはいえVBシリーズの一作として好きではあったしOrbitは短編の番外編として出されているChronicleシリーズとして実装予定だったシナリオとかリリース済みの部分はちょい手直しで何とか続きを出して欲しいと思います。いやほんと。他のFANZA/DMMブラウザゲームタイトルのようにEXNOAと折半でクレジット入っているわけでなくVBOはスタジオ九尾の持ち出しっぽいし……

ソシャゲ続けるための個人的重視の要素

で、ここからは長めのおまけの話。VBOとそれ以外で私が触れたことのあるゲームサービスとの比較とか。

まず継続(課金)前提のソーシャルゲームサービスに重要なことはこれだと私は思っています。

・毎日「気軽に」触れられる(デイリーが軽い)事
・魅力的な追加要素・リニューアルを「外向きに」行う事
・お金を(追加・維持に)かけ過ぎない。(課金要素に)求めすぎない。
・チームやギルドと言った集団への所属が必要な要素をゲームプレイ上必須にしない。

私、先日も或る方と久々に一緒にドライブに出かけた時「そういう」ゲームの話も出てきて私がデレステをリリース後間もなくから続けているという所で「7年もサービス&プレイを続けられるというと生活の一部にまでなっていて(ソシャゲ制作者なら)羨ましいだろうと思う」と感想を漏らされたのですが続く理由として先述のVBOやソーシャルエロゲーに比べると日課(サービス事業者のDAU稼ぎ&プレイヤーのプレイ継続資源稼ぎ的なデイリー)が軽い事が挙げられます。1曲3分程度を1回クリア+誰のでもいいから他のプレイヤーのルームを覗きに行って「イイネ」を昔5回今は1回する+営業というお遣いに3回出す+αと毎日3~4項目程度なのでデイリーで5~10項目最低30分費やすソーシャルエロゲーに比べて楽です。あとデレステというかそのベースコンテンツであるアイマス自体すごく息の長いタイトルだしアニメも良かったしでコンテンツとしての懐の深さが段違いなのが大きいんだと思います。その系譜の中ではデレステの7年も僅かなものでしかないように思います。もうバンダイナムコグループや関わる声優・プロダクションや音楽関係の屋台骨の一つにすらなっていますよねあれ。ちなみに同じようなスマホ音ゲーとしてはナナシス(Tokyo7thSisters)旧版も半年くらい、ラブライブも確かスクフェスの後のスクスタ?(虹ヶ咲が出てくる)は1か月程度触りましたが個人的にはしっくりきませんでした。
次に魅力的な新規コンテンツの追加も継続や途中からのプレイ・(サービス&プレイ)継続の為には重要に思います。ただ、ココのさじ加減が難しいと思います。お金と手間がかかりますし追加すればいいというものでもないです。

 

戦記絶唱シンフォギアXDアンリミテッド(歌繋がりで)

 

一例を挙げるとプロローグが主人公のお墓参りという衝撃的アニメ第1話を端緒にアニメを5期+途中からスマホソシャゲをリリースした「戦姫絶唱シンフォギア」。ソシャゲ版はリリースされて1年半後くらいから連発されたゴジラ他怪獣映画など関係者の趣味丸出しとしか思えない特撮コラボの話題を耳にして興味を持った所に原作アニメ1期から地味にいい役回りを演じていた脇役3人をアプリオリジナルの設定で戦線投入するイベント「竜姫咆哮メックヴァラヌス」の開催を切っ掛けに私は触れました。メックヴァラヌスは完全アプリオリジナルで異質な存在ですが他にも本編と違うキャラクタのifシナリオを平行世界として「聖遺物ギャラルホルン」という存在を軸に展開してコラボだけに頼らず様々なifシナリオを展開して豪華声優が配されているキャラクタの魅力を掘り下げるイベントを組めている点は評価したいです。あと、デレステアイマス)と同様にコンテンツのキーである各キャラクタの歌唱曲の追加もビジネス的に大きいように思います。

 

変身ヒロイン+魔法+エロ

FANZAソシャゲとしては「アイアムマジカミ(旧称・略称マジカミ)」と「エデンズリッター-グレンツェ-(ここでは略称:デンズリ)」の新規要素の追加のアプローチも挙げておきたいと思います。
「製作費ん億のエロゲ」というリリース時の煽りが印象深いマジカミはぶっちゃけた話「まどマギ」世代のお約束を元に渋谷を舞台背景にしてソシャエロゲとして作った代物でポップさと割とハードなエロが特徴とそれなりに出来ていると思います。キャラクタは主人公枠とマスコット、ヒロイン12人で計14人。2年サービスを続けてようやく4人追加されました。イベント・ガチャは先述のシンフォギアと似て担当者の趣味というか独特のパロディセンスが光るシナリオ明るめのイベント、ガチャは12人の「様々な可能性を具現化したドレス」という形でイベントや特別な設定を織り込んだミニエピソード付きで提供されます。有償ガチャは石の増量キャンペーンがイベントに関連して頻繁に行われるので割とハードルは低いです。コラボイベントは割と少なくDMM系ではよく行われる同プラットフォームのゲームとのコラボは「全く」なく、ある意味真逆の設定(秋葉原で科学)であるPCゲームのシュタインズゲートとのコラボが印象深いです。
(いや、全年齢版限定でなのはコラボとかもありましたが)

次にデンズリと誰かが略していましたが「エデンズリッター-グレンツェ」は先述のマジカミと少し異なり初出はPCのパッケージソフト「エデンズリッター」で、リリース当初から重厚な世界観と塗りのCG、ハードエロスが強烈な印象を放っていました。それをそのままD社のブラウザソシャゲープラットフォームに持ち込んだタイトルになります。
デンズリもご多分に漏れず他のソシャゲーと同様の様々なイラストレーターの起用や断続的なイベントシナリオ追加・キャラ追加を行っていますが印象深いのがコラボレーション企画です。デンズリと同じようなハードエロスで一世を風靡したcolors「魔法少女アイ」とのコラボの展開、そしてデンズリとの組み合わせは生ハムメロン的な印象のある真逆な全年齢ソフト「あすか120%」とのコラボイベントを立て続けに実施した事は絶妙な調和を見せたと感じています。
デイリーのルーチンプレイはキャラ育成やガチャ実行に必要な資材の無償供給が継続的にかつ他のゲームよりレート高めで行われているのである程度簡単にこなせるのは好印象です。
デンズリについてはガチャを回す際に必要な「石」の販売アプローチが絶妙な事も挙げておきたいと思います。マジカミや他のタイトルでもイベント開催に合わせて少しおまけ分(無償分)増量した購入メニューを増設するのがほぼお約束になっていますがデンズリの場合はイベントシナリオを一定の所まで達成すると時間限定で一日のお小遣い・タバコ一箱分のポイントで有償「石」メニューで無償分を大幅増量したものを用意・PRするというのはうまいやり方だと思います。単に「石」のキャンペーンメニューとならずゲームプレイと連動し手を出しやすい価格に抑える事で課金を誘引しているので先程資材の無償供給が割と高レートで行われると述べましたが実際の課金売り上げも立っているように推察します。

 

結びーVBシリーズとしてー

 

話を戻して冒頭のVBOはここまで挙げた他のソーシャルゲームサービスに比べ全てにおいて負けているだけでなくパッケージ版のVBシリーズと比べて勝る所も無くVBを応援している自分でもダメ出しせざる負えなかったのです。
先述の通り、VBシリーズとしてみてもWindowsXP世代のシステムとレスポンスで戦闘を早送りにしてもぜんぜん早くならないし、シナリオもほんの少ししか遊べなかったし……つらい。ちなみにXP世代のVBDやEは本来のテキストアドベンチャー・ノベルゲー向きのプラットフォームである吉里吉里シミュレーションRPGを作り上げたという技術的にはとんでもない存在でもあるのですが。
もはや、パッとVBOオリジナルヒロインの名前も出てこなくなる位自分の中で風化しつつあるのがちょっと悲しいですが、スタジオ九尾におかれましてはこれに懲りずにVBもしくはオリジナルでソシャゲにまた挑戦していただければとも思う次第。

 

次回はコラボの功罪についてグダグダと挙げる予定です。

 

 

 

今度やろうと思っていること(備忘)

備忘的にいくつか

 

甲州街道ポタリング

5月に下諏訪を訪れて下ろしたてのミニベロでGoogleMapsを参考にぶらぶらした際に思いついたもの。その日は上諏訪駅近くの宿から諏訪大社の上社の方を回り途中から旧甲州街道を伝って終点の下諏訪本陣まで走りました。以来考えていたイベントです。
来月辺りに実行しようかと思っている。

下諏訪に輪行でアプローチし、終点の下諏訪から甲府の68㎞+αまでをのんびり走ろうというもの。基本的に下り基調ですがところどころにキツイ坂が潜んでいます。頑張って行ってもお昼前にスタートとなり、炎天下かつ終点が気温が上がりやすい盆地の甲府ということもあり1泊挟むことも思案中。

 

ソロ~少人数キャンプ

キャンプといいつつテント張ってから読書と湖水浴するぐらいでご飯もコンビニ/スーパーの総菜で簡単に済ませるもの。今年3月ごろから煮詰まって5・6月体調がズタボロになってしまいそのリセット目的で1週間キャンプしたけど食事が自分で作るのと買うので大差ない(むしろ買う方が安く無駄がない)結果になったので反省しての事。夏場は保存が課題。強力なクーラーボックス買っても冷やす氷を買いにコンビニかスーパーに2日に1度はいかねばならないので。

今年もう一度9月中にやりたい。

で、ちょっとだけ出かけてこういう所に足運んだりしたい

 

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姫川源流

 

短信202106

ここ数か月、特に3~5月いっぱい負荷が高く、疲弊していました。

実際、体調を崩して朝一で不整脈と思しき胸の締め付けや
漢方の疲労回復薬飲んで逆に酷い湿疹に見舞われたり
5月末から2週間余りむかむかが治まらず食欲落ちたりして
毎月病院行って検査受けたり薬貰って3~4万吹っ飛びました。

 

ただ、精神的には復調はまだまだでこの数行打つのにも脱線やらなんやらもありましたが20分以上かかっています。

前回投稿した1月ですらリハビリ途中で以前2時創作小説もどきを1年半書いた時の半分以下の状態だったのが更に落ち込んで朝ノートPCを開いてテキスト打つ時間も活用できなくなってしまいました。

 

休み方も改善途中です。

取り敢えず、外出はできるだけするようにしていますが東京・神奈川など人が多いところは避け、一人で自転車や車でぶらついたりしています。5月の連休も誘われたり誘ったり色々迷いましたが一人で日帰りサイクリングと1泊2日の旅行でした。

 

現在、お気に入りのPCゲームシリーズ「VenusBlood」の二次創作SSと1月にも投下したエッセイの新規をちまちま書き進めています。

お付き合いのほど今後ともよろしくお願いいたします。

二次元を入り口に聖書に聞く 古代と未来の非現実的な現実‐SAO2マザーズロザリオ編より‐

「わたしたち強い者は強くないものの弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。キリストもご自分の満足はお求めになりませんでした。(あなたをそしる者のそしりが、私に降りかかった)と書いてあるとおりです。かつて書かれた事柄は、すべて私たちを教え導くためのものです。それでわたしたちは聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。忍耐と慰めの源である神が、あなた方に、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように」ローマの信徒(教会)への手紙15章1~6節

 

ー現実と物語上の生死の重み

 伝染病や交通事故よりも多い自殺。自殺志願者を募って自分の中の歪んだ欲望を満たそうとした者や障碍を抱えた人達の施設に勤める者が施設の利用者の命を値踏みし社会に有害だと決めつけて殺傷、罪に問われても全く反省を見せない事件すら起きています。インターネットとSNSは世界の人々の繋がりを劇的に変えましたが繋がりを増やすとの同じかそれ以上に惑わし分断をもたらしています。人と人との距離の在り方を変える中で心の平安を脅かされる人達も増えています。長引く自国の不況だけでなく、軋みが増す一方の世界情勢、とどめを刺すように全世界に新型伝染病が瞬く間に流行し国々はおろか国の中や町の中に至るまで混乱と分断をもたらしました。無論、この嵐はキリストの体である教会をも容赦なく襲い礼拝・ミサ・集会の様相を一変させました。

様々な人々が集い祈りを合わせ、神を礼拝するこれまでの教会の概念が新しい伝染病の前では重大な弱点となってしまったのです。しかし、礼拝の動画配信などカトリックプロテスタント問わず行われ新しい教会像が模索されています。私のこの拙稿もその一助となれば幸いなことこの上ありません。さて今回は史実にもあるローマ支配による苛烈な状況下で非現実的な出来事や考え方を記した聖書と虚実入り混じっているネットに溢れる情報やノベル・ゲームの物語の接点をネット上で現実的な体験をもたらす仮想現実体感型集合オンラインゲーム(VRMMO)の世界を舞台に生死を賭けたドラマで大人気を博したノベルのアニメ第2作「ソードアートオンライン2」のクライマックスであるマザーズロザリオ編から考えてみます。

本当の命を賭したゲームから生まれた絆

大変有名なライトノベルなのですが、私は最近まで触れる機会がなく「ソードアートオンライン」の派生作品である時雨沢恵一氏の「ガンゲイルオンライン」に別のアニメから入った口で全容を把握できていません。そんな俄かで恐縮ですが本編のあらすじについて記したいと思います。「アクセルワールド」が好評を博した作家河原礫さんがそれより先に構想し、出版元の理解もあって商業出版化、大好評となりアニメ化も重ねられている作品です。

時は近未来というか本稿を執筆している後数年後の現代、技術の進化が生み出した初の仮想現実(VR)体感型のオンラインロールプレイングゲームソードアートオンラインSAO)」は歓喜の内に正式サービス初日を迎えます。しかし歓喜の声は一転、悲鳴と怒号に変わってしまいます。開発者「茅場明彦」から1万人ものプレイヤーが100層あるゲーム世界アインクラッドをクリアしない限り自発的なゲームの終了(ログアウト)が出来ず、ゲーム内で操作する分身であるアバターの死がそのままプレイヤー自身の死に反映されてしまう事態が告げられパニックとなります。物語の中では主人公キリトを中心に集合型オンラインRPGらしい様々な営みが描かれ、死を恐れつつ仮想世界での暮らしを粛々と過ごす者、クリアを目指す者、秘めていた歪んだ衝動に身を任せ文字通りの殺人を行う者が入り乱れ様々なドラマが描かれていきます。そんな中でキリト「桐ケ谷和人」はアスナ結城明日奈」ら仲間と共に何とか現実世界に生還します。キリト達はその後もSAOを継ぐように登場したVRMMOアルヴヘイム・オンラインALO)」を中心に集まりゲーム上は勿論、現実でも絆を深めていきます。

ALOを楽しんでいた或る日、アスナは剣技に秀でたキリトですら対戦で負けたアバター、通称「絶剣」の存在を知り勝負を挑みます。キリトほどでないものの「バーサクヒーラー」の二つ名を持ち、SAOでは一流ギルドの副団長すら務めた剣の使い手であるアスナは激闘の末に何故か「絶剣」に見初められ「スリーピングナイツ」というパーティの元へ連れて行かれ協力を求められます。

-ぼくたちと一緒にボス攻略してほしい-と。

「絶剣」ことユウキ達のパーティ「スリーピングナイツ」は様々なオンラインゲームを渡り歩いてきましたが、訳あって解散する事になり有終の美を飾るべくALO前人未到の偉業に挑戦していました。それは各エリア(階層)のボスモンスターを最初に倒した者に与えられる石碑へのID刻銘七個分にメンバー全員の名前を刻み、自分たちがここにいたという証を残し忘れられない思い出にしようというもの。ユウキ達の目標とは通常、七つのパーティ最大49人が協力して挑戦しないと勝てないとされる強大な敵を単一パーティ最大7人で倒そうという大変なものです。ボス戦は困難故に最初にクリアした記念にALOで開始直後に訪れる街の会堂に設置された石碑に7つまで名前が刻まれる栄誉が待っています。通常の刻銘は参加したパーティの代表者の刻銘が行われる所、ユウキ達はスリーピングナイツのメンバー全員の名前を刻む為、単一パーティで挑み、現メンバー6人以外で足りない戦力に値する者の選定を決闘で探していたのでした。アスナは戸惑いつつも参加し、途中遭った思わぬ妨害をキリト達旧知の仲間の支援を受けて退け、見事単一パーティでの攻略を達成します。

しかし、ここから物語は暗転します。打ち上げとしてメンバーの名前が刻まれた石碑の前で記念撮影後、ユウキがバトル中そしてバトル後に自分に対してかけた「ねーちゃん」という言葉についてアスナが問うとユウキは涙を浮かべ姿を消してしまい、以降アスナを拒絶します。ユウキの同僚であるシウネ―もアスナに声を掛けつつもユウキの意を汲み「あなたは私達が最後に出会えた素晴らしい仲間だけどこれっきりにしてほしい」と去っていきます。戦闘中のユウキの言葉に現実での問題への励ましを受けたアスナはどうしても諦められずキリトの助力を得る事で何とか現実世界でのユウキの居場所を突き止めます。その辿り着いた意外な居場所でユウキの事情を知りつつも全て受け止めたアスナと手掛かりを残さなかったにも拘らず自分の予感通り会いにやってきてくれたアスナの熱い思いを受け止めたユウキは再会から互いを受け入れ現実世界・ALOと垣根無く親交を深めていくのでした。物語はユウキとの死別という形で最期が訪れますが、今わの際にユウキはオリジナルの剣技に「マザーズ・ロザリオ」と名付けアスナに伝授し、アスナは「いつの日か私がここ(ALO)を去る日が来たらこの技は必ず誰かに伝える。あなたの剣は絶えることは無い」とユウキに応えます。

スリーピングナイツとアスナ・キリトのパーティだけでなくアスナの呼びかけに応じ集まってきた数え切れないALOアバター達に看取られ、ALOの中で絶対無比の剣士「絶剣」と称えられたユウキはこの世とアルヴヘイムでの旅路を終え、この物語はフィナーレを迎えます。

-人生の苦難の意味-

さて、シリーズの副タイトルとしてマザーズロザリオと冠せられている所からも聖書・キリスト教の影響を受けている物語であることが容易に察せられます。

先のアスナがユウキに贈ったセリフなどマタイ福音書16章の「あなたはペトロ。私はこの岩の上にわたしの教会を建てる~あなたが地上でつなぐことは天上でも紡がれる」を彷彿とさせますし、回想シーンでユウキが姉や母と共に教会で祈りを捧げる描写もあり、エピローグでユウキの葬儀会場として使われているのも教会です。

 

キリスト教は教会以外では学校・教育そして福祉や医療といった社会の重要な分野で西洋は勿論、維新後の日本を支え、重要な役割を果たしてきました。福祉・医療と縁深いのは旧約の時代より神が様々な苦難に遭うユダヤ民族に厳しく臨むこともありつつも寄り添い支え励まし続けた事や新約のイエスの足跡がそういった事業に従事する人の支えになっているからかもしれません。特に医療においては従事者だけでなく、病に襲われた人にとっての光・支えとなった事実において作家の三浦綾子氏など枚挙に暇はありません。

ユウキの困難のような不条理はいつの時代も存在し、それは聖書が編まれた時代でも同じです。旧約聖書にはヨブ記という不条理に苦悩する義人(正しい人)の物語があります。

ヨブ記箴言(しんげん)、コヘレトの言葉と並び「知恵文学」に位置付けられる劇的な対話形式の詩ですが何というが酷い話です。

ヨブという世の誰からも神からも義人として認められた人が神と悪魔の気まぐれにより大変な災難に遭います。そこからヨブと妻や友人3人が神を信じる事の意味を対話していく話であり、全ての人に分け隔てなく訪れる災厄に対する人の苦悩を追及した古代文学の傑作です。

 

ユウキは家族共々その生まれた時から背負った境遇の故に苦しみ、理解のない隣人から差別も受け、他人に何も報いることもできず迷惑をかけ続ける日々に自分の生きる意味を見付けられないまま15生き続けました。その中で負い目ばかりを感じて日々を過ごした生い立ちが回想や周囲の人から語られます。

しかし、スリーピングナイツのメンバーそしてアスナと出会い、困難に立ち向かう勇気をアスナに与える事ができ、支えてくれる人々の善意を浪費するだけの空虚な存在ではないかと苦しみ耐え続けた日々が無意味でなく特別な何もない自分が存在するだけで他の誰かの為になると気付き、支えてくれるアスナと自分の生、在り方を受け入れていきます。

マザーズロザリオ編の後半、ユウキはアスナとの外出の際、一家が最後に笑顔で暮らせた一軒家に立ち寄り、亡き母が生前に教会で捧げていた祈りの意味がようやく分かったと告白します。

 

「ママはよくお祈りの後に、ボクとねーちゃんにこういってくれたんだ。神様は私たちに耐えることのできない苦しみはお与えにならないって」-23話「夢の始まり」より-

幼い時はそれが聖書の一節に拠る事を理解しつつも反発したユウキでしたがアスナと出会い、自分の何気ない一言が困難に立ち向かう勇気をアスナに与える事ができた事で母の祈りが言葉や形で言い表し切れない愛しみと励ましが秘められたものだった事に気付いたのです。

 

新約聖書においても旧約聖書に記され定められた律法により、病や生い立ちなどで穢れた物とされ社会から排除された人々がイエスによって救われる物語が多数存在します。

ヨハネ福音書にはこのような箇所があります。「ラビ(先生・師匠の意)、この人が生まれつき目が見えないのは誰が罪を犯したからですか?本人ですか。それとも両親ですか。」現代の日本においても未だにこのような考えを見かける事がありゲンナリしますがそれに対しイエスはこう答えるのです。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである(9章1~3節)」

伝記に収められたヘレンケラーや野口英世など偉人と称えられる人でも最初は病やケガ、天災など困難の中にあった所に思いがけない救いの手が差し伸べられ、偉業の第一歩が始まったケースが多く有ります。

苦しみの闇に光が差した時、人は溢れる喜びから失われた楽園での本来の姿に近づけるのかもしれません。

 

他人の弱さを担う強さ

 

SAOではゲーム世界のアバターの能力としての強さが仮想現実性とともにイコール本来の強さかどうかというテーマの描写が度々出てきます。

しかし、人は自分が思っているように良くも強くはありませんし、想像よりも実は強く良いものでそれは自分一人では気付けない事が多々あります。それは事実で古も今も変わらないものです。そして聖書に記された人そして神の強さは人の世の基準からすると彼岸の彼方の物であることが多く有ります。

アニメSAO2ではマザーズロザリオ編以外に前半のファントムバレット(ガンゲイルオンライン)編ではシノンというヒロインの心の傷、そしてマザーズロザリオ編ではユウキの苦難が物語の背景として描かれます。どちらにもSAO事件とは違う形での死の闇が深く漂うものです。しかしシノンとキリト、ユウキとアスナの会話の中で明らかにされていく背負った(耐え忍んだ)苦難が強さとして称えられます。どちらでも共通しているのは自分の思いと違う他人の視点から自身の強さ・優しさを認められるところです。そしてその強さは自ら誇ったところではなく、むしろ彼女達がこれまで背負ってきた十字架が結果として強さとして称えられたものでした。ちなみに十字架はキリストの象徴ですが、本来は洋の東西問わず過酷な死刑方法であり処刑場まで受刑者自ら背負っていくものでした。イエスは自らを「父(神)の子」であると証しつつも決してこの世の王や神の生まれ変わりを名乗る現代の宗教家の様に自分を高みには置かず常に旧約聖書に収められた神の預言に殉じ、弟子の脚を洗ったように人の下に自分を置き、磔刑を含む苦難を甘んじて受けました。あの十字架は罪のない人を磔の死に追いやった人々の罪の象徴であると同時に、それでも神が人を見捨ず楽園追放の際に人にかけられた死の定めからの解放した神の忍耐と愛、赦しの証とされます。聖書で説かれる本当の正しさや強さが普通の価値観で愚か、無駄とされる所にあることについて新約聖書の主要人物の一人であるパウロも「私は弱い時こそ強いのです」と含蓄のある言葉を残しています。

 

-幻実と人を繋ぐもの-

 

今回取り上げたローマ書(ローマの信徒・教会への手紙)はキリスト後の使徒パウロが伝道した各地の教会・信者に遺した書簡の一つです。

ローマ書は義務教育の歴史を学んでいればキリスト者でなくても知っている「宗教改革」の土台となった文書です。一般的なプロテスタントの始まりとして取り上げられるマルティン・ルターが時のヴァチカンを批判し袂を分かつに至ったきっかけがこのローマ書(の1章)であり続く5章は多くのプロテスタンティズムの根幹を成す「信仰義認」を代表する箇所と言われ、パウロが異邦人の受け入れに躊躇する当時のユダヤ人たちに形式的な割礼など律法に基づく振舞いではなく聖書に記された福音に基づく信仰を求めた箇所です。苦難・忍耐という言葉も並び、当時既にローマ帝政により残虐な迫害が起き耐えることも説いていたのかもしれません。

ローマ書15章はパウロが教理(教えの基本的解釈)的に5章で熱く語ったキリストによる信仰と今の苦難への忍耐から確かになる神の臨在と希望を日常生活における「(異邦人を含む)隣人愛」を通じて信徒たちに説いています。

実のところ、本稿の為に有名な5章を端緒にローマ書を読み直して初めて15章を目に留めましたがユウキの母親が教会で捧げた祈りを支えた箇所としか思えないとても素晴らしい箇所であると今更ながらに感動した次第です

 

今、私達はSAOそしてユウキとは違った形で死や病による苦しみが身近なものとなった日々を過ごしています。それでいてネットや画面の向こうから入ってくる世界とこの国を覆う闇と病を今一つ実感に欠ける形で受け止めているようにも感じています。

或る国の新型ウイルス感染者が数万人である事、ウイルスの出自や悪性の度合い、感染力についての様々な憶測、自分の住む地域や近隣の日々の感染者数について報道や意見、SNS上でのコメント、他人事か完全な個人的な思いに基づくものの様に見える事が多々あります。確かに画面越しで見ると正直な話、まるでゲームやドラマ、アニメのワンシーンを眺めているようです。

しかし、数字や文字でしか語られないニュースや呟きの先に確かに人はいるのです。毎日絶えない感染者や死者の人数、私達はただ数字でしか触れられません。
下手をすれば、
SAOのキリト達や、別の事情で数年間ずっと仮想現実から世界に接しているユウキの方が「死」というもののリアリティを感じるのではないか。そうとすら思える時があります。他人の痛みや苦しみは画面の向こう、文字や絵で「見る」だけではあくまで他人事なのです。同じ体験が無くとも他人を「思う」ことが出来なければゲームでの体験も聖書の物語も仮想現実ですらない空虚なものではないか?裏を返せばゲーム内でのドラマも聖書に残された古代イスラエルやイエスによる数々の物語も想像力・感受性、優しい心を働かせて受け入れれば等しく現実と同じにその姿を見せてくれる。アニメSAO2で描かれたアスナとユウキの物語はそう語っているように思えます。

二次元を入り口に聖書に聞く 系譜と繋ぐもの 「ふたりはプリキュア」シリーズを端緒に

-イエス・キリスト系図-

アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリスト系図

アブラハム、イサクを生み、イサク、ヤコブを生み、ユダ、タマルによりてパレスとザラを生み、パレス、エスロンを生み、エスロン、アラムを生み、アラム、アミナタブを生み、アミナタブ、ナアソンを生み、ナアソン、サルモンを生み、サルモン、ラハブによりてボアズを生み、ボアズ、ルツによりてオベデを生み、オベデ、エッサイを生み、エッサイ、ダビデ王を生めり。

ダビデ、ウリヤの妻たりし女によりてソロモンを生み、ソロモン、レハベアムを生み、レハベアム、アビヤを生み、アビヤ、朝を生み、アサ、ヨサパテを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨラム、ウジヤを生み、ウジヤ、ヨタムを生み、ヨタム、アハズを生み、アハズ、ヒゼキヤを生み、ヒゼキヤ、マナセを生み、マナセ、アモンを生み、アモン、ヨシヤを生み、、バビロンに移さるる頃、ヨシヤ、エコニヤとその兄弟を生めり。

バビロンに移されて後、エコニヤ

サラテルを生み、サラテル、ゾロバベルを生み、ゾロバベル、アビウデを生み、アビウデ、エリキヤムを生み、エリキヤム、アゾルを生み、アゾル、アゾル、サドクを生み、サドク、アキムを生み、アキム、エリウデを生み、エリウデ、エレアザルを生み、エレアザル、マタンを生み、マタン、ヤコブを生み、ヤコブ、マリヤの夫ヨセフを生めり。このマリヤよりキリストと称えるイエス生れ給へり。

されば、総て世をふる事、アブラハムよりダビデまで一四代、ダビデよりバビロンに移さるるまで一四代、バビロンに移されてよりキリストまで14代なり。

マタイ傳福音書使徒マタイによる福音書)第1章1節―17節

 

-つながる系譜-

聖書を紐解くと先ず立ちはだかるのはその収められたものの量と種類です。聖書と言ってもユダヤ教イスラム教もその信仰の基盤とする旧約聖書キリスト教に重要な新約聖書に分かれます。更に旧約聖書は創世記から十戒が登場する出エジプト記や英雄伝であるイスラエル史、十戒の解説書ともいうべき律法書、その名の通り神を称える詩が詰まった詩篇預言者達が時の権力者や社会と戦う様を描いた大小の預言書、神を受け入れつつ苦悩する人の姿が描かれたヨブ記やコヘレトの言葉などの知恵文学で形成されています。そして、イエスキリストが登場する新約聖書もイエスキリストの足跡を4人の記者が描いた4つの福音書とキリストの弟子である使徒達の活躍を描いた使徒言行録や使徒から初期の教会や信徒へ向けた手紙とされる書簡類が収められています。

そして福音書のスタートを飾る使徒マタイの福音書の冒頭もまた今回挙げた序文で初心者に立ちはだかります。ちょっとした興味本位で聖書を開いた人は余程のことでない限りここを読み飛ばすかここで挫折する事請け合いです。

しかし、この序文こそ救いの物語、聖書に語られる神とキリストが何者であるかを示す証明書であり見逃してはならない箇所です。アニメやコミック・ノベルも1話・1章が重要であるのと変わりません。

 

ではなぜ、このような聖書の構成、福音書の書き出しになっているのでしょうか?

救いを説く宗教の経典であれば、もっと簡単に神・キリストの語った事を纏めればいいと普通の本屋に並ぶ実用書と比較して考える人もいるでしょう。実際、そう考えて行動に移した人は何人もいました。しかし、残念ながらその人たちは悉く道を踏み外してしまいました。聖書はキリスト教の根幹を成すと同時に古代ユダヤ民族・イスラエルの歴史書であり、法律書であり文学集でもあります。きわめて多様な側面を持った書物です。字面だけ追いかけ、そこから容易く美味しい所だけを集めることができる存在ではないのです。

 

巷にあふれるアニメや漫画も昨今、少しでも人々の目に留まろうと分かり易さや読後の快感を追及したり、様々なプロモーション手法が登場しエスカレートしていっていますが残念ながら悪い意味で換骨奪胎としか思えないようなものばかりで良さを伝え広めるどころか逆の結果を招くケースも見られ、作品一つ一つが持つポテンシャルをそいで寿命を縮めているようにしか見えないのも勿体無い事です。

 

-戦い、手を取り合う少女達-

さて、シリーズ毎に登場する主人公たちの数を挙げると今回のマタイ冒頭に引けを取らないアニメが存在します。それが「ふたりはプリキュア」シリーズです。15年以上続き、初代のキュアブラックキュアホワイトのペアに始まり、続編のMaxHeartで追加のシャイニールミナス。続くSplashStarのキュアブルームキュアイーグレットと第二次形態であるブライトとウィンディ、3代目Yes!プリキュア5はその名の通り五人と続編のGoGo!で一人追加となりその後も基本4人でフレッシュ、ハートキャッチ、スイート、スマイル(5人)、ドキドキ、ハピネスチャージ、Go!プリンセス、魔法つかい、キラキラ、HUGっと、トゥインクルスターとタイトルを挙げるだけで16代、今この原稿を書いている2020年はヒーリングっどというシリーズで4人登場します。プリキュア達の名前をすべて挙げればマタイのそれを超えるボリュームです。

ここまでの拡がりはアニメに興味のない人からすればテレビ局と玩具メーカーを中心に食品やら雑貨を手を変え品を変え売る為に毎年やっている事程度に見えるかもしれません。そして多くのプロテスタント教会にとっては日曜の朝に子供向けの礼拝や聖書講義に子供たちを集めようとする際に、プリキュアは連続して放映される男児向け特撮と共に立ちはだかるやっかいな存在(苦笑)でもあります。

しかし、聖書が「神とは?神の救いとは?」というテーマを軸に旧約新約そして中で分かれてマタイの冒頭で名前を挙げられた人物それぞれに役割や物語が存在するように様々な事柄が描かれているのと同じで、プリキュアひとりひとりに個性と物語が存在し、ある程度のテンプレートは存在しますがシリーズそれぞれに舞台も設定もデザインも声優もすべて異なり、どれ一つをとっても同じエピソードは存在しません。シリーズの根底に流れるものは同じですがシリーズそれぞれに観る子供達に伝えようとした物は異なります。十年以上続き初代を観て育った子供が成長して、声優となってプリキュアに登場するようにもなりました。家庭も同様です。初期を観て育った世代が親として家庭を持ち子供を育てるようになりました。初代と2代目が強調した「手を繋ぐ」ように親と子を繋ぐ役割も果たすようになりました。人物の描かれ方も移り変わり、初代は当時の都会で中学校に通う女の子達をモチーフに、2代目は郊外~地方の中学生がモチーフとなり生活スタイルも部活も違いますが、初代から15年経った「HUGっと!プリキュア」では更に登場人物の描かれ方は今の子供達だけでなく社会全ての多様性を取り込んだ意欲的かつ批判性すら備えたものになり、毎週のように話題を巻き起こし社会に対し一石を投じました。別の回で取り上げようと考えていますが単なる勧善懲悪ではないいろいろと考えさせられるエピソードや教会の大人達が下手に咀嚼した読み聞かせより聖書で描かれる人間のあるべき姿を直球的な表現で描き切ったエピソードすら見受けられ、私も毎回興味深く視聴しています。

 

-触れ合いと赦し-

聖書は全編を通じて「私は私としてある」神と人間の関わりそして神の赦しと救いの物語を描きます。

「創世記」の楽園追放から神と人との関係は一度は遠く離れ、バベルやソドムとゴモラの様に人の有様に怒りを燃やすこともあればロトやノアの様に決して棄て置かない神のありよう(愛)が描かれます。新約は赦しと救いの象徴としてイエス使徒の物語が描かれます。共通しているのは神は神であり、人知を超えた存在であると同時に常に人の傍に立ち、触れ合い語りかける存在として描かれている事です。

プリキュアはシリーズの根幹に「何かを守る(為に戦う)女の子」を据えつつ学校に通う女の子の日常、友情、成長、時代とともに変わりゆく家庭や社会との関わりを変わらず描き続けています。

男児向けヒーロー物と異なる点としてプリキュアは立ちはだかる敵にさえも手を差し伸べるところです。男児向けで登場した敵がその後主人公達と行動を共にするパターンもあると突っ込まれそうですがそれはあくまでライバル、強敵と書いて「とも」と呼ぶものが多くプリキュアのそれとは異なると思います。3作目SplashStarで登場した満(みちる)と薫(かおる)と主人公の咲と舞の触れ合い、4作目Yesプリキュアではクライマックスで敵の首領であるデスパライアに手を差し伸べ、8作目のスイートプリキュアではエピローグでプリキュア達は真の敵であったノイズが自己嫌悪した枯れた声ですら自分たちが愛し守る音楽の一部として受け入れます。2019年放映のスタートゥインクルでは「絶対に許さない」とプリキュアの定番セリフの一つを叫び迫る敵に対し「私はあなたを赦す」と返すシーンもあります。単なる勧善懲悪ではないメインの視聴者層に向けたプリキュア達の在り方が見て取れます。

 

創世記で神に「大地の砂粒が数えきれないようにあなたの子孫も数え切れないだろう」と祝福されたアブラハムから、イスラエル民族が広がり様々なドラマが生まれ聖書に収められたように、プリキュアは「ふたりはプリキュア」から始まり、そして、単なる子供向けの消費コンテンツでは収まらないドラマが子供達は勿論、大人をも唸らせます。国民的アニメと言われるドラえもんサザエさん宮崎駿監督作品とは違った形で日本のアニメ界に根を張り大樹として大きく枝を広げ育った作品であると私は感じています。

子供達や我々が初めて出会うプリキュアも皆異なりますがそこから様々な登場人物や物語を知り何かを受け取った時の喜びは優劣の付け難い人として大事な経験ではないでしょうか。

 

世の中には今回のプリキュア以外にもキリスト者的に興味深いアニメや漫画・小説、ゲーム作品が多数存在します。

それらを本稿以降、他の作品からも紹介していきます。それらと出会う喜びを読んで下さる皆さんと分かち合えたらと願ってやみません